↑なんか、すんごいスケベなgifアニメーションを見つけちった・・・♪
ジラシ好きなもんで、オリジナルのgifよりもさらに60%ほど
ス~リスリのスピードを落としたU次郎バージョンですけど☆
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・・・な~んてな話のあとに恐縮ですが、
こないだ本屋に行ってビックリしました。
村上春樹訳 R・チャンドラー『ロング・グッドバイ』う~~~~ん、ついに、そういう時代が来ましたか。
われわれ、というか、この極東ニッポンの読書人が
レイモンド・チャンドラーに触れるとすれば、
原書に直接トライする人をのぞけば、この50年間、常に“清水俊二訳”。
海外の文芸作品の場合、
そのオリジナルがいかに優れた作品であったとしても、
翻訳書になったとたん、その“生死”は完全に翻訳者の腕にゆだねられます。
生かすも殺すも、まさに翻訳者の言語感覚次第。
そして、不幸なことに、殺されてしまう例があまりにも多い・・・
いや、殺されるどころか、そもそも日本語の文章として成り立ってすらいない
奇天烈な翻訳書の多いこと多いこと!
とくに、大学のセンセイがたが訳しているもの・・・
あなたは自分が書いているこの日本語の意味がわかるの??
みたいなね。
ま、大学のセンセイがたが皆さんそうだと言うわけじゃありませんが・・・
敬愛してやまない生田耕作氏みたいな名人もいますしね。
その点、チャンドラーは珍しく幸運だったんじゃないでしょうか。
清水俊二氏の訳はところどころ古めかしい表現があるものの、
初訳以来もう何十年もたっていることを考えれば、それはやむをえないことだし、
そんなことより何より、冒頭から末尾まで、きちんと、あるスタイルで貫徹された、
しかも当然のことながら、達意の(意味の伝わる)日本語でした。
ディープなチャンドラーファンの方々に言わせれば色々あるんでしょうが、
“翻訳”という、どこまで行っても決してオリジナルとはイコールにならない
文章表現の中では、じつにえがたい成果だったんじゃないでしょうか。
そこに、今回の新訳。
時代にマッチしなくなりつつある表現の刷新。
さらには、清水訳の重大な欠点の補完。
そして、なんと言っても、素晴らしい人選!
チャンドラー×村上春樹。
書いている内容こそ全然違いますが、
“文体”ということで言うと、村上春樹はチャンドラーの直系です(たぶん・・・)。
これ以上のカップリングは、今の日本では考えられないでしょう。
清水俊二に村上春樹。
つくづく、この国におけるチャンドラーは恵まれていますね。
蛇足ですが、現代日本文学の真の“文体”革命者は村上春樹と町田康くらいだと思っています。
最近の町田康はちとヤバそうですが・・・